以前TwitterでもRTされて知ってる方も多いかと思いますが、作家として活動されていたbeeさんが7月27日に不慮の事故で帰らぬ人となりました。
生前僕がデビューするまでずっとマンガに関する様々なことを指導していただいたり、デビュー後もいろいろとお世話になりっぱなしだったりとbeeさんは僕にとって唯一の師匠でありとても大切な人でした。
2010年から2017年と短い期間かもしれませんがその間の8年は本当に濃密な時間で、今でも思い返せば様々なことが鮮明に蘇ります。(この投稿をするにあたり、beeさんの作品画像を転載することをお許しください。)
最初の出会いは2010年の夏、Twitterでbeeさんがコミケの原稿のアシスタントを募集していたのを見つけ、僕自身以前からbeeさんのマンガの大ファンだったこともあり半ば押しかけるような形でアシスタントとして使っていただいたのが始まりです。
締め切りまで時間のない中、素人同然の僕に対して本当に親身になって一から教えて下さって、迷惑同然だったと思いますがなんとかやりきることができ、そしてアシスタント料までちゃんと出してくださって本当にありがたい気持ちと、憧れのbeeさんと繋がれたこと、同人誌のお手伝いをさせていただけたことが本当に嬉しかったのを覚えています。
※初めてお手伝いした同人誌「みんなはプリキュア。生徒会長もプリキュアです!」
その後もbeeさんとの交流は続き、同年の11月僕が初めてオフセットのエロ同人誌をショタイベントで出した時には、約束もしていないのにわざわざスペースに遊びに来てくれて、イベント後も天一で一緒にご飯を食べたり(本当は会場近くの二郎系のお店に行くはずでしたが、すでに閉店してました…)当時上映していたハトプリの劇場版を蒲田の小さな映画館で観たりと、それまでスカイプのみでのやり取りで実際に会うのは初めての僕にものすごく優しくしていただいてとても感激でした。
※初めてのオフセット同人誌「フレーフレーチ○ポ」
その後、2011年東日本大震災で、気仙沼の実家や当時住んでいた仙台の街やマンションが大変なことになり気持ち的にもすっかり落ち込んでいた頃、震災3日目にはかろうじて電気とネットが通じていたのでbeeさんにスカイプでいつものようにいろいろ話を聞いてくれたり励ましていただいたおかげで元気が出て、震災で見送る予定だった6月開催のショタイベントにbeeさんと一緒に無事参加でき、更にはイベント合同誌にbeeさんと一緒に寄稿することができました。
※持ち込みした同人誌「コミックフレチン2011年7月号」
この新刊や合同誌を作る際にbeeさんに口酸っぱく「実力や画力は後からでも付いてくるものだからキミはせめてペン入れだけは丁寧にやりなさい」と何度も教えられ、イベント当日beeさんのご実家に泊めていただいた際、完成原稿を見せながらこの同人誌持ち込みしても大丈夫でしょうかと相談した時に、「まぁ、このくらい丁寧にペンが入ってるんならいいんじゃない?」と言っていただいたことで自信がつき、翌日のマショウや好色少年への持ち込みを経て無事商業デビューを果たすことができたのもbeeさんのおかげです。
その後は当時働いていたアルバイトと月一連載のマショウやその他の原稿との兼業に追われて目まぐるしい日々を送っていたのですが、その間にもbeeさんはいつもスカイプで僕とお話してくれて、2012年に初めての単行本を出す際には表紙絵の手直しと着色までやってくれてもう何から何まで助けていただきました。
(実はbeeさんは強度の色弱だったのですが、塗る色はどれもこれも彩度が高くものすごく鮮やかで本当に本当に憧れだったので、単行本を出す時には絶対塗ってくださいと何度もお願いしてたので初単行本とダブルで念願叶って本当に幸せでした。)
※beeさんに表紙を塗ってもらった初単行本「チン☆デレ」
実は単行本を出す間ものすごく忙しかったのには他にも理由がありまして、男の娘マンガの新作をどうしてもbeeさんに描いて欲しいが為に僕が「beeさん、次のショタイベントで一緒に合体サークル立ち上げましょう!!」と焚き付けて一緒にアイマスの涼ちんマンガを描いて合同誌をコピー本で作ったのと、8月にbeeさんがコミケでキュアピース本を出す際にアシスタントをして欲しいと頼まれて「僕も単行本で忙しいんですよ~」と一端の作家気取りをしながら手伝ったりしていたのもありました。
しかしながら夏場スカイプごしで二人で一緒に作業する時のワクワク感といったら、まるで文化祭の準備のような楽しさがありましたし、特に7月のショタイベント前夜には二人で深夜に原稿をコピーしに行ったりbeeさんのご実家の店舗部分で20ページ以上の原稿を朝方まで200部分織り込んでホチキスで止めたりと(当時ご実家は日本蕎麦屋さんでした。)それはもう楽しすぎる時間でした。
※beeさんが2010年に出した涼ちん本「涼と××と××と。」
一緒に出した合同誌「スカッドレーサーズ」の名前の由来は、beeさんはおしっこ、僕はウンチとどっちもスカ趣味があったのとその時何故かbeeさんがセガのレースゲーム、スカッドレースから名前を付けようと言い出してこのような名前になりました。
※beeさんのマンガは「オトコノコ complete!~konomi+涼+男の娘+α~」に収録されております。
そんな感じで怒涛の2012年が年末に差し掛かった頃、僕も今まで勤めていたアルバイトを辞めマンガ一本で食べれるようになり、コミケにもサークルで参加し始め、2013年、2014年とbeeさんとは相変わらずスカイプでやり取りしつつ、コミケで会うというパターンを繰り返しておりました。(その間にも自分の単行本が出る際には相変わらず表紙の手直し等手伝ってもらってました。)
その頃からbeeさんは他の作家さんのお手伝いをしていたり、フリーランスとしてソシャゲイラストや三和のムックイラストに専念していて、僕自身も自分の原稿で忙しくアシスタントとして手伝えなかったりしたおかげであまりコミケで新刊を出すことができなくなってしまっていたので、今思えば無理してでも手伝っておけばよかったなと少し後悔しています。
※beeさんが表紙とイラストを手掛けた「本当に正しいセックス 基本編」
それと同時に僕はbeeさんに商業誌でまたマンガを描いて欲しい想いがずっとあって、僕自身beeさんのことは同人誌で知りつつもヤングコミックで単行本を出したり、メガストアやLOでマンガを描いたりと商業での活動も追いかけていて、「いつか何かの雑誌で一緒に掲載されたい」という目標があったのですが、僕がデビューできた頃には自然とbeeさんは商業から離れていた頃だったので、事あるごとに「早く商業で描いてくださいよー」と何度もお願いしていました。
beeさんはネームを描くのが苦手なようで何度か僕に「ネームだけでも描いてくんない?」半分本気で頼んでくれていたんですが、その度に僕は「それじゃbeeさんが描いてて恥ずかしくなるようなイチャラブ過ぎるネームか、ウンチ漏らすやつ描きますね」と冗談で言ったりもしていましたが、beeさんの読みやすいコマ割りとネームには自分の作ったネームでは到底かなわないと自信がなかったのも正直な本音です。
※beeさん唯一の商業単行本「召しませ・ハニー」
そして2015年beeさんは思い立ったように今までのフリーランスの仕事をスッパリと辞めて、ソシャゲのイラストを専門に扱う会社に就職しました。
今まで当たり前のように話そうと思えばいつでも話せる環境にいたのに、急に平日の深夜か土日くらいしか会話できなくなってしまい、僕自身スカイプしながらの作業では原稿への集中力が持たなくなっていて、自然と会話の回数も減っていたのもあって、なんだかbeeさんが急に遠くに行ってしまったような気がして少し寂しく思っていました。
でもbeeさん自体あんなにも絵が上手いのに当時経済的にはあまり恵まれておらず、僕もアルバイト時代に生活に非常に困っていたという経験もあったので「あー、これでbeeさん安定した収入になるし本当よかったなぁ」という思いも同時にありました。
そして2015年、2016年はスカイプでのやり取りは減ったものの、コミケでは相変わらず顔は必ず見せにいってましたし、その頃から僕は関東への移住を検討していたので、beeさんが時間に余裕がある時には一緒にネットで物件を探したりして、「おぉ、ここ俺んちからすごい近いよ」と言われては「えー、beeさんタバコ吸うしあんまり頻繁に来てほしくないんでもっと遠くにします」と冗談を言い合っていました。
そして2017年僕は結局beeさんの実家から比較的近い物件(バイクで10分~15分)に転居することにしました。
6月末に引っ越して荷解き作業が一段落した7月上旬、beeさんとスカイプで話している時に「今俺暇なんだよねー」と言われたので「それじゃウチ来ます?」と誘ったらすぐバイクで来てくれて、近くの喫茶店でご飯を奢ってくれた後、新居に上がってもらって部屋を見てもらったりリビングで喋ったりしてました。
その時ふと思い立って、「そう言えばbeeさんにちゃんとサインとかもらったことないんでコレ(単行本)に書いてくれませんか?」
と7年越しにサインをお願いしたんですが、「もうしばらく自分のサインも書いてないから忘れちゃったよー」とbeeさんは照れくさそうに言いながらもしっかりサインしてくれて、更には液タブにササッと丁寧な落書きまでしてくれて…
僕がタバコベランダでなら吸ってもいいですよと言っても、beeさんは気を使って最後までタバコを一本も吸わずに帰って行きました。
帰り際に「それじゃ近くなったしこれからはちょくちょく遊んだりできますね」「よかったらまた(ウチに)来てくださいよ」「うん…それじゃまた」
それが僕が最後に見たbeeさんの姿でした。
27日当日は同居人が「なんだか家族が事故にあう夢を見たと」言っていたのですが、普通に聞き流してしまっていて、夜にbeeさんの専門学校時代からの古い友人でもあるZen9先生からbeeさんが事故にあって亡くなられたという知らせをいただいて、しばらくは全く信じられない感じで、淡々とこれからのことを考えていたのですが、一通りやり取りを終えた後に
「なんだよ…虫の知らせって本人にくるんじゃないのかよ…」
「なんだこれ…なんでbeeさんが?だってこないだ来てくれたばっかりだし、スカイプはオンラインになってるしさ…」
となんとも言えない感情が湧いてきてボロボロじゃなくなぜかしとしとと短い涙を断続的に流しました。
それからは原稿をやろうとしてもほとんど手につかず担当さんにも一方的にあたってしまったりと少し情緒不安定だったのですが、原稿落としたらそれこそbeeさんに合わせる顔がないと頑張って商業2本と同人1本を片付け、無事コミケも終えることができました。
(正直ペン入れの最中も「こんなペンじゃダメだよ」というbeeさんの声が聞こえるような気がして何度も泣いてました)
本当は通夜に参列させていただきたかったのですが、お母さんがかなりのショックを受けてらして、家族葬だけで済ませたいということでしたので、ずいぶん日にちが経ってしまいましたが、昨日ようやくbeeさんのご実家にお線香を上げに行ってきました。
幸い御霊前だったので納骨前に会いにいくことができてよかったです。
務めていた会社で撮ってもらった本当に最近の新しい写真やbeeさんの学生時代、成人式の写真を見せていただきながら、お母さんからbeeさんの小さい時の話を聞かせて頂いたりお母さん自身の半生を聞かせていただいたりした後過去に何度か入ったことのあるbeeさんのお部屋をあらためて見せてもらいました。
前に遊びに行った時とほとんど変わらない部屋がそのままで、PCもついたまま。
まるでbeeさんが留守でちょっといないだけのようなとても不思議な感覚でした。
Zen9先生とメッセのやり取りでbeeさんの原稿や、お仕事のデータをサルベージして保管して置きたいですねと相談していて、お母さんも了承済だったので部屋に入った時にPCのデータを見させてもらってたんですが、仕事のフォルダとは別に僕が原稿を描くごとにbeeさんにちょくちょく渡していたデータをちゃんと「チンズリーナ」というフォルダにまとめていてくれたのを発見したのと同時に、外で僕のことを弟子だと言っていたということを他の方から聞いたのを思い出して、短い期間でしたがちゃんと師弟として思っていてくれたんだなというのがわかってものすごく嬉しかったです。
でもそんなbeeさんとはもうお話することはできないですし、冗談を言い合ったりすることもできません。
あの日からbeeさんに教えてもらって大好きになった岡村靖幸をほぼ毎日ずっと聞いてます。
結局新譜聞けてないって言ってたので僕が最近買って聞いてますけど、本当最高のアルバムでしたよ。beeさん
beeさんが毎週欠かさず見てたプリキュアも今年のまだ半年残ってるんですよ。
僕が前にbeeさんのマンガなんて「ぶるるッ しょしょ~ あっ…あっ…」の3つだけで説明できるじゃないですかって言ったこと、本当のことですけど謝ります。
原稿見せる度にアラ探しされるから最近見せてなかったけど、今は「またそんな適当にペン入れして… デビューあたりのほうが丁寧に引いてたよ」
「またパースおかしい」「この顔可愛くない」ってまたネチネチいっぱい叱ってほしいです。
とにかくもっといっぱいお話しなきゃいけないこと沢山あったんですよ。
まだ全然気持ちの整理がついてないですが、beeさんの描くマンガ、イラスト、すっごく綺麗な線、彩度が高い塗り、可愛らしい書き文字、本当に本当に大好きでした。
もうおじさんなのに衰えるどころか年々上手くなっていって、それがすごくカッコよくて自慢の師匠でした。
でも全然商売っ気がなくて。いつもお金のこと一緒に相談してて。
beeさんの腕ならもっと優遇されて報われてもいいのにってずっと思ってましたし
本当に人としても大好きでした。
自分のことをこんな顔だから怖い人と思われるって言ってたけど、すごく人懐っこくて、
どんな人にでもサラッと話しかけることができて、いつも照れくさそうにはにかんで笑う
とっても可愛らしいおじさんでした。
僕はあなたの背中をこれからもずっと追い続けます。そしてこれからも僕にとっての大切な師匠です。
本当に本当にありがとうございました。
beeさん安らかに。
文章としてまとまりがなく稚拙で申し訳ありません。
最後までお付き合いありがとうございました。
追記:たまたま僕は2010年から近年まで仲良くしてもらってたのと、勝手に師匠として慕っていただけで、beeさんから様々なことを教えてもらった方が他にも沢山います。それぞれの方にとっての大切な師匠でした。
Twitterでのbeeさんの訃報を知ってから様々な方がbeeさんにお世話になった。教えていただいた。というツイートを見つけ、あぁ、この人は本当にお節介なくらい優しくて誰にでもなんでもこういう風に教えたりしてたんだなぁと自分が知らないbeeさんをいっぱい見ることができて少しヤキモチを焼きつつも、そんなbeeさんがとても誇らしく思え、正直嬉しかったです。
泣いた
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